猫の尻尾亭

尾岡レキが創作の事や読書感想を殴り書きするだけのブログです。アイラブ300字SS!

頭の中がまっしろ

この文章は、10/16に書いていました。
(結局グダグダしてアップできなかったという顛末w

 

状況はまた変わってきていますが、
自分のセルフセラピーとして、
ブログにアップしようと思いまして。
かなりプライベートかつ、内容としてはハードなので
そういうのが苦手な方は、リターンしていただけたら幸いです。

 

 

 

Twitterで投稿した通りなのですが、
妹が乳がんです。肺、リンパ節、背骨に転移してます。
ステージまでの説明はなかったし、聞かなかったけれど
言葉にしたくなかったです。
主治医は、ヤマは数日と。

本当なら、胸の中におさめておくべきだと思うのですが、
自分の中で受け入れができず、
ただただ文章に書いてみようと、そう思って
入力しています。
いつも以上に取り留めない感じで、
そこは本当に申し訳ないな、って思います。


共感も、慰めも欲しいわけではなくて
自分自身の感情とか、感覚とか
そういうものを確認したいだけなのです。

正直、今でも良い兄ちゃんではなかった、
そういう自覚があって。

彼女は障害をもっていて。
わりかし、幼い時は一緒にいた記憶があるんだけれど。
でも、鮮明に記憶に残っているのが
同級生たちが、妹の障害をからかった時に
アイツを守ることができなくて。
言葉にまるで出せなかった。
それだけを憶えていて。

東北に住んでいた両親、妹を
中国地方お好み焼き県に呼び寄せたのも
父親の健康問題と
妹の将来を考えてのことだったんだけれど。

父が胃癌だと思っていたのはポリープで
脱力していたら。
弟が早すぎる現世にサヨナラを告げて。

そして妹は今、戦っている。

なんで自分はのうのうと生きているんだとか、
そんな無責任な言葉がうす巻いてくるけれど
それは本当に無責任な言葉であることは自覚していて。

母がどれだけ、妹のことを想っていたとか、
それを想うとやるせないし、
だからイライラもして。

極めつけは、
コロナウイルス感染症対策で
病院が面会謝絶。
主治医からの説明の時しか、病院に行けない。妹に会えない。

母は、ずっと付きそうつもりでいたから、それすらかなわなくて。
手を振り払われた感じで。

治療して、家に帰るよ。応援してるよ。
僕が言えたのは、これだけで。
他に何かいうこともあろうが、って自分でも想ったけれど、
オウム返しに、機械的
言えたのはコレだけで。

「意識がないって聞いていたから、目を覚ましていてよかった」
父は言う。
「最後に声をかけれてよかった」
最後だなんて言わないでほしい。でも父も僕も現実を受け止めていた。こんな論理的な父が、僕は尊敬していて大嫌いだったと今さらながらに思う。
皮肉にも、今の自分の思考はなんて父に近い。

「入院なんてさせず、最後を家で見送りたかった」
僕は頷くしかない。

抗がん剤と……あの子の生命力にかけるしかないね」
父は言う。

「どうしてうちの子たちばかり」
母は言う。どう言葉にして、
返事をしてあげたら良いかわからない。
家を離れて、両親や妹に向ける言葉が少なくなってしまった僕は
この日、今まで以上に言葉数が少なかたっと思う。

なにか食べて行こうという話になってよったファミレスは
妹と、両親がお祝いに行った場所だったらしい。
地雷を踏んだのか、何の縁なのか。
それもよく分からない。
食べても味がしないけれど。
何とか飲み込んで。

父は妹が好きなオムライスを注文して
「一緒に食べるんだ」と言うから
なおさら、どう言葉にして良いかわからないけれど。

祈るしかなくて。
祈ることもしんどくて、
何も考えたくないけれど
生活は、当たり前のように続いていって
仕事で、癌と向き合いながら、
利用者や家族と向き合ってきたはずなのに

自分が当事者である家族として直面してきたら
てんでダメ。

現実を受け入れるとか
意思決定とか。
あぁ、医療や看護や介護は好きなことを
好き放題に、言いたい放題に
自分たちの都合で言っていたんだなぁって。

こんな情けなくて
曖昧で全然、律することはできないけれど、
意思決定なんて、人の命の前で
本人しか決められないのに
本人ですら決められないのかもしれないのに
医療・看護・介護が決めさせようとしていて。

なんて、おこがましい。

ぐるんぐるん、
そんな思考が回るんですよね。

でも、治療、彼女の生命力に思いを託しながら
時間を大切にしていくしかないって思います。

悔いなく寄り添う
言葉にしたらこんなに淡白なのに
なんて難しいんでしょう。